万葉集41番の作者・分類、訓読・読み、意味・訳、原文についてまとめます。
万葉集41番について
歌番号
41番
原文
釼著|手節乃埼二|今<日>毛可母|大宮人之|玉藻苅良<武>
訓読
釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
かな読み
くしろつく|たふしのさきに|けふもかも|おほみやひとの|たまもかるらむ
カタカナ読み
クシロツク|タフシノサキニ|ケフモカモ|オホミヤヒトノ|タマモカルラム
ローマ字読み|大文字
KUSHIROTSUKU|TAFUSHINOSAKINI|KEFUMOKAMO|OHOMIYAHITONO|TAMAMOKARURAMU
ローマ字読み|小文字
kushirotsuku|tafushinosakini|kefumokamo|ohomiyahitono|tamamokaruramu
左注|左註
右日本紀曰|朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官|於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位E上於朝重諌曰|農作之前車駕未可以動|辛未天皇不従諌|遂幸伊勢|五月乙丑朔庚午御阿胡行宮
事項|分類・ジャンル
雑歌|留京|留守|伊勢行幸|地名|枕詞
校異
->日【類】【冷】【紀】|哉->武【類】【冷】【紀】
寛永版本
くしろつく,[寛]たちはきの,
たふしのさきに[寛],
けふもかも[寛],
おほみやひとの[寛],
たまもかるらむ[寛],
巻数
第1巻
作者
柿本人麻呂